パワプロ2020オーペナ(61)21年目シーズン後半戦~シーズン終了
21年目(2040年目)のシーズン後半戦です。
ついに1000盗塁達成
池谷(42)が後半戦の開幕戦で通算1000盗塁を達成した。
レジェンドの福本豊氏が37歳で17年目達成している。一概に比較することはできないが、何はともあれプロ野球史上2人目の1000盗塁を達成した。
40歳を超えても第一線でしかも盗塁王を取り続けているのだから、近代野球としても池谷の価値は計り知れないものがある。
通算1000盗塁を達成した時の池谷のインタビューです。
「まだまだこれからです。ここまで来たのだから、球団初の通算歴代1位記録に向けて、来期も頑張っていきます。」
言葉少なめにこう語った。おそらくここは通過点だという気持ちが強いのだろう。インタビューも立ち囲み取材で、言葉少なめに報道陣に語った。
大記録達成時に大いに語ってもらうことにしよう。
通算200達成
8月28日宍倉(32)が通算200勝を達成した。
同期入団には中継ぎエースの堀切(37)や戦力外で活躍している布施もまだまだ現役だ。高卒で入団し、3年間はほとんど日の目を見ることはなかったが、海外留学を経験した4年目に初めて先発ローテーションの一角を担うようになり、その後は剛腕右腕として、エンゼルズの第一線で活躍してきた。20勝ぴったりの投手と揶揄されながらも一級品の投手へと成長を遂げた。次の目標は250勝と掲げている。初代左のエース海老澤(39)の勝利数が目標だと語っていた。
海老澤のスランプ
今季、海老澤(39)はかつてない状態に陥っていた。前半戦終了時には5勝どまり、後半戦に入っても、調子は一向に上向く気配がなく8月29日にはスランプに陥り入団以来初の2軍落ちとなった。正直ここまでの成績になり、ここ終盤での2軍落ちとなる来期以降の契約にもかかわってくる。一刻も早く戻ってきてほしいところだ。
助っ人外国人選手の能力判明
両選手とも前評判通りの実力であるが、両選手ともここまで1軍での出場は果たしていない状況だ。来期の契約継続はあるのだろうか。
引退試合①
10月9日、阿藤(36)の引退試合が取り行われた。
8回1失点の好投で永塚からマウンドを譲り受けた阿藤(36)。ここまで9試合に登板し無失点の好投を続けていた。
打者2人をアウトにし、二死となったが、続くバッターに三塁線を破られ二死二塁のピンチとなった。
ここで、球場のボルテージは高まっていく。
続くバッターに対してもヒットを許し、迎えた巨人の4番ハルド。
ピンチだったものの、ハルドを内野ゴロに抑えて、このピンチを無失点で切り抜けた阿藤。しっかりと1イニングを無失点で引退試合に自ら華を添えてみせた。
左バッターのアウトローに決まる高速スライダーは今日も健在だった。まだまだ投げれるといったファンの声が阿藤にも届いているだろうか。
試合終了後、阿藤の引退セレモニーが取り行われた。
花束贈呈には明日引退試合を迎える松浦(42)。いつもこの花束贈呈にはこの男がいた。いつしかファンの子供たちは松浦のことを「花束おじさん」というほどまで、子供たちにも愛されていた。明日は、松浦が花束を贈られることになる。
一度は、エンゼルズを退団したものの、こうやってまた戻ってきた阿藤。
阿藤の目には涙はなかった。すがすがしい気持ちで引退試合を終えた。19年間のプロ野球人生に静かに幕を閉じた。
引退試合②
阿藤の引退試合が行われた翌日、10月10日。2日後に43歳の誕生日を迎える松浦に少し早いバースデイゲームが取り行われた。今回は引退試合としては異例のエンゼルズの出場選手全員が松浦の背番号4をつけて出場するという統一番号試合となっている。
流石に、心身ともに限界だったようだ。今シーズン引退試合前にも1軍出場は果たしていたものの、到底プロとして結果を残せるような身体ではなかった。しかしながら、この試合に満員のファンが球場に駆け付けた。ベンチスタートとなったものの、エンゼルズナインは4番をつけて球場を駆け巡った。まるで松浦がそこにいるかのように。
長年一緒に戦ってきた池谷(42)も松浦の引退試合に華を添える。
8回の守備から、長年守り続けていたセンターのポジションについた。
一時、5点差まであったリードだったが、九里ら後続が撃ち込まれて、2点差の6対8で迎えた9回に守護神の澤﨑が緊急登板をした。
4番のハルドに同点ホームランを浴びてしまった。一気に球場の雰囲気が変わる。
しかし続く5番バッターを三振で仕留めて流れを一気に引き寄せにかかる。
これで、サヨナラに向けて球場のボルテージは高まる。松浦の引退試合を負け試合には決してしたくないという澤﨑の執念が垣間見えた。
ここで、巨人はかつての大エース、江川卓氏から背番号30を引き継いだ、巨人の現エース井草が立ちはだかった。
ここまで、数字上は結果を出していないように見えるが、今期の井草は低迷する巨人軍のために中継ぎや抑えもやっており、このような数字となっているが、間違いなく手ごわい相手である。
ここで、ベテランの西塚(37)がピンチヒッターとして、井草と対峙する。
2-2からの5球目、145km/hのまっすぐを捉えたあたりは前進守備の外野の間を抜けるサヨナラヒットを放った。
久しぶりのお立ち台に立った西塚は満面の笑みで、松浦の引退試合に華を添えた。
引退セレモニー
試合後の引退セレモニー、マウンドの中央には松浦の姿があった。打席には立つことはなかったものの、満員のファンの前で最後の雄姿を見せた。
花束の贈呈には、池谷(42)が向かった。
阿藤と同様、松浦の目にも涙はなかった。走り続けた19年間、悔いはないようだ。
そして殿堂入り
オフシーズンの話にはなるが、松浦が野球殿堂入りを果たした。
入団から3年連続GG賞を獲得した4年目は早くも構想から外れた松浦はわずか5試合の出場にとどまった。しかし、成長タイプが晩成であることが判明し、球団は守備のスペシャリストととして松浦を起用した。その結果に応えるように、その後11年連続GG賞を獲得し、通算14回のGG賞獲得となった。2037年には日本記録の12年連続のGG賞を目指して奮闘していたが、惜しくも日本記録達成とはならなかった。しかしながら彼が残した功績は計り知れないものであった。
松浦の殿堂入りのインタビューです。
「このように金の銅像をもらえたこと、皆さんに評価してもらったことはすごくうれしいです。4年目に5試合しか出場できなかった年のオフはすごく悩みました。正直このまま野球をやめようかとも思いました。でも、運よく自分は人よりも身体的な衰えが遅いというのがわかりました。そこからは守備でレジェンドになろうと決めました。池谷は盗塁と安打数、蓮沼は勝利数、平井は本塁打と、目に見える数字でレジェンドになろうとしてました。私も入団当時安打数で張本さんを超えたいなーなんて思ってました。でも、球団オーナーとの会食の場でこう言われたんです。『みんな分かりやすい数字でレジェンドを目指そうとしてるけど、僕はこういうのもあると思うんだよな、ゴールデングラブ賞。このレジェンドになろうなんてあんまりみんな考えないんだよね。そらそうだよね、入団してゴールデングラブ賞のレジェンドになろうなんて考える選手はいないと思うんだよね。だって、これって他人からの評価だから、実力があっても投票されないと獲得できない賞なんだよね。でもそれって盲点だけだけど、レジェンドになれたらすごくない?それが松浦君にはできると思うんだよね』こう言われてハッとしました。自分は目に見えるものしか見ていなかったんだなと、他人に評価されることもすごいことなんだなって。それで自分のプロ野球選手としての生き方を決めたターニングポイントでしたね。だから日本記録の12年連続のGG賞が取れなかったということは=選手としての限界ということを考えていました。だからここまでできたことに対して悔いは全くありません。もし、このような考え方ができていなかったら、ここまでGG賞にこだわりを持つこともなかっただろうし、2000本安打を達成したそこそこの選手という評価を自分にしていて引退も悔いが残ると思います。だからオーナーには感謝ですね。
連続日本記録は達成できなかったものの通算14回のGG賞受賞は歴代最多受賞(これまでは12回の福本豊氏)という日本記録保持者だ。守備のレジェンドとして初めてのレジェンドとなった。
1000打点達成
梅村が通算1000打点を達成した。ここはまだ彼にとっては通過点でしかない。
潜在能力解放
池谷(42)が地道なミート打撃練習の成果で自身の潜在能力を最大限まで引き出した。
ミートが上がりAまでになった。42歳になってもなお進化を続ける彼には本当に頭が上がらない。
ロッテとの日本シリーズでは3連勝で迎えた第4戦
ここで勝利すれば日本シリーズ3年連続4連勝となる。
宍倉が8回まで抑えて9回のマウンドには海老澤が上がった。
スランプから復帰し、1勝を挙げたものの、なかなか先発機会が与えらえていなかった。
後続をきっちり抑えて、胴上げ投手となった。
来期も頑張ろう!
以上、来期は21年目オフシーズンです。